レーザ墨入れ器を使ったスピーカセッティング

ファイルオーディオはハードウエアとしてのプレーヤを一切用いない.ピュアオーディオとしてこれ以上簡素なシステムは考えにくい.いわば「引き算の美学」の実践である.狙いは見事に的中し,ほとんど半世紀に及ぶオーディオ歴のなかでこれ以上よい音を経験したことがないとさえ思える.しかし,そこに満足し留まれないのがオーディオの業である.

最近,ネットサーフィンをしていて,レーザ墨入れ器を使って精密にスピーカセッティングを行う方法があることを知った.早速,西野正和著「すぐできる!新・最高音質セッティング術」を取り寄せ,参考にさせていただいた.スピーカ間の間隔,背面壁との距離,それにスピーカの振りの角度は今まで通りで,両スピーカのフロント面が可能な限り厳密に揃うよう墨入れ器によって調整した.といっても,結果的に片方のスピーカをわずか5mmずらしただけである.その結果,音場空間のねじれ,ひずみ感が消え,左右バランス感が非常に安定し,堅固になった!.

音の左右バランスをなんとか取ろうと思い,試行錯誤を繰り返したこれまでの苦労はなんだったのだろう.自分でも病的だと思うくらい,左右のアンバランスがとても気になり,スピーカの位置や向きをあれこれ変え,これだ!と思った直後にすぐ気に入らないところが出て,変更すると,途端にかえって悪くなり,しかももとに戻れなくなる.こんなことの繰り返しだった.要するにこうすればこうなる,という予測のための理論的指針がまったく出来てなく,あやふやな聴感だけを頼りに闇の中をさまよっていたようなものだ.

ステレオ方式を完璧に機能させるには,両スピーカを一体として考え,両フロント面を厳密に揃える.部屋の形状など周囲環境やスピーカを置く位置などに関係なく,まずこのことを押さえ,そこから出発しなければならないのだ.

実際,この調整の後,XLOのテストCDを聞いたところ,トラック6のKeith Jonsonの移動するナレーションでは,これまでになく正確にナレーション通りの位置が再現された.話者が中央から左右へ移動し,音の変化がないことを確かめるというテストがある.これまでどんなシステムでも中央と右,左の中間でどうしても音が変わってしまったが,今回は違った.ほとんど変わることなく,なめらかに移動するのだ.一方,モノ録音の演奏トラックを聞くと,わずか左にずれて聞こえる.それを調整するために,スピーカの背面壁直前においたオニキスの壺の位置を変えて調整できた.さらに(驚くべきことだが)同壁の前に音響調整用の小道具としておいたPLEOを移動すると,音像の位置が変わった.周囲の環境にそれだけ鋭敏になったということだろう.以前だったらこういう場合,スピーカの位置を疑い,自分の耳にのみ頼ってスピーカを移動しかねないところだった.その挙げ句,泥沼入りだ.フロント面を不揃いにしたまま,他をあちこちいじるのは,病気の根源を知らずに見当違いの対症療法とその副作用の対応に追われて状況をますます悪化させるようなものだ.

左右スピーカのフロント面を出来るだけ高い精度で揃える.これがステレオの基礎であり,出発点である.フロント面を揃えること自体はあまりにも当然なので,普通,それ以上深くは追求してこなかった.しかし,西野氏は,その精度をミリ単位まで高めることを要請したのだ.実際,数ミリの不揃いがあってもステレオ音場は歪んでしまう.それほど左右の音量のバランス(いわゆる位相差)に人間の耳は敏感なのだ.ちなみに,音場感覚処理では非線形性が優勢だと思われるから,線形理論による言い方である「位相」差というよりも「音量」差というほうが適切だろう.人は,左右の耳から入る音波のほんのわずかな差から豊かな音場を再構成する能力に長けているのだ.

このセッティングにより,ほとんど理想的とも思える揺るぎない音空間が得られるようになった.かつてはあまりに困難なのであきらめていたピアノやオーケストラの演奏さえ相当なリアリティをもって再現される.このブログを書きながらも,同じパソコン上のiTunesの制御のもと,生々しい演奏がHB-1の背後から溢れ出てくる.広大で彫りの深い音空間が湧き出し,躍動し,ドラマを繰り広げる.音が目に見えるのだ.これこそ本当のVirtual Realityであろう.ステレオは空間の彫刻師だ.

コメント

人気の投稿