新次元のオーディオを開く ー Music Memex

  先月半ばから入院する事態になり、いま病室で執筆中。

 この病室にはいまだにWiFiがなく、持ち込んだAppleBook Air 2019をiPhone経由でネットに繋げた。メールやウェブを見ながら、AirPod Proでアップルミュージックを聴き続けている。

 思い出したのは、現役時代の1995年、やはりこの近くの病院に入院したときのこと。病室にデスクトップの Macintosh LC を持ち込んで、当時はまだ珍しかった携帯電話を接続し、無線経由でインターネットに繋げた。やはりメールのやりとりとウェブ閲覧がメインだったが、この間、職務を全うする(振りをする?)ことに成功した。リモートワークの先駆けである。尤も、看護師さんには同情された。入院中もアルバイトしなければいけないのか、と。しかし、電話回線が安定せず、しばしばディジタル的破綻(^_^)が起き、中断された。ウェブはまだ普及しだしたばかりで、ページが出るまで数分かかるのが珍しくなかった。ただ、世界中のどこへも瞬時に繋がることが素朴に嬉しかった。

 今日び、イヤホンを両耳に差し込めば、それだけで世界のどこか知らないところから、スマホ経由(今回はMacBook Air経由)で、妙なる音楽が届けられる。耳にものを差し込む違和感に慣れてしまえば、ほとんど夢心地の気分になる。自動的に立ち上がるアップルミュージックに感謝したくなる。ただし、パケット費消と、あまり感心できないUX(User eXperience 体験的使用感)さえ気にしなければ。

 パソコンとオーディオとの繋がりで、私の最初の興味は、まず音源の属性データ(曲名やクレジットなど付随するデータ)のデータベース作りにあった。始めた頃、手持ちのCDは数百枚程度だったが、それでも分類整理がまるで苦手な小生、何かを聴きたいと思い立ってもどこにあるのか分からず、順に棚を探すという有様。そこでせめて手持ちCDのデータベースを作り、検索すれば在処がすぐ分かるようにしたかった。容易に関係データベースが作れるマックのソフトとしてファイルメーカがあった。1990年代前半の話である。これを使って、とにかく各CDの属性データをせっせと手入力した。ファイルメーカーは、あるバージョンから容易にウェブ公開できるメカニズムを入れたので、早速利用し、友人達にメールでURLを教えた。のどかな時代だった。

 しかし、その無意味さに気がつき、やめた。一体何のために大袈裟にデータベースを作り、ネットで全世界に公開する必要があるのか。

 手持ちのCDの分類整理と曲名や演奏者の検索くらいならEXCELで十分で、これだけで、二重買いなどの愚を避けられるし、在処の場所をコード化して属性情報として持たせれば、容易に在処が見つけられるシステムになる。

 そんなこんなで、CDをデータベース化するという意欲はいつの間にか消えたが、いわゆるPCオーディオに興味を持った。リッピングをし、音声出力ソフトなどをいろいろ試した挙げ句、音声データ再生ソフトとして、iTunesを使い始めた。やっと2012年になってからのことである(「Devialet AIRの現状」2012.2.6)。同月にはFile Audiophileを目指すと誇らか(^_^)に宣言している(「目指せFile Audiophile」2012.2.13)。以降、楽曲ファイルを収納したパソコン以外、一切のメディアプレーヤを持たない。Pure file audiophileである。Less is More. そして KISS(Keep It Stupid Simple)!

 NAS(Network Attached Storage)の類いも持たない。ノート型パソコンでさえ、大容量高速SSDを内蔵する現在、万一に備えてのバックアップ以外、外部ストレージの必要性はない。また、クラウドを利用すれば、手元のストレージはますます少なくて済む。現に、いまここで聴いている音源の殆どはクラウドにある。ネット経由のストリーミングの音質劣化を気にするならば、一時的にダウンロードして聴けば良い。しかし、なによりも重要なのは、余分にNASを介在させることで、音を劣化させこそすれ、良くすることはまず考えられないことだ。制御するパソコンないしスマホとNAS、そしてオーディオ機器との間で、LANで飛び交うパケットとその処理を考えただけでぞっとする。

 同様の理由で、いわゆるネットワークプレーヤの存在意義は疑わしい。入力側のファイルのデコーディングはパソコンの音楽再生ソフトと重複し、出力側のDACも重複することが多いのではないか。余分なものを介在させれば、悪さこそすれ、いいことはない、パソコンが遙かに非力だった2007年、Linn Klimax DS出現の意義は大きかったが、すっかり時代は変わった。やはりKISSで行こう。なによりも財布の中身を減らさずに済む。

 それはともかく、最初にiTunesを使ってみたとき、これほど便利でよく出来たものがあることに驚いた。しかも、アップルらしく、アートワークの提示をはじめ画面が実におしゃれだ。マックでCDを読み込むと、自動的にiTunesが起動し、リッピングを始める。終わると、これまた自動的にクラウドの音楽ライブラリのデータベースと照合し、一致すると見なされれば、なんとその属性データが手元のiTunesのライブラリーに入れられる。尤も、最初に試したCDではなぜか全く見当違いの別物が入ってしまったが。音楽データ本体はもちろんのこと、その属性データまで、手入力無しで出来てしまうのだ。確か2,3日掛けて手持ちのCDを全て取り込んだ。クラウドのデータベースに該当するものがなく手入力しなければならないものや、あってもいい加減なデータで修正したものも結構多かったが。

 アップルミュージックで選曲した音楽データをWiFiでDevialet D-Premier Airに送り込んで、美音を享受した。しかし、このiTunes、バグが多くて、不安定だった。Devialetのファームウェアも初期は同様で、両者あいまっての不安定さには苦労させられた。その苦労もまた、一種の楽しみではあった。いまは幸か不幸か、この種の楽しみ?はほとんどない。

 一番苦労させられたのが、クラウドのiTunes Storeとの統合を図った iTunes 12.2へのバージョンアップで、何の操作がきっかけだったのか、うんともすんとも動かなくなってしまった(「iTunes 12.2へのバージョンアップ」2015.7.2)。さてはそれまでの膨大なライブラリー作りの苦労はすべて水泡に帰したのか。この時ばかりはどうしようもなく、近所のPC Depot店で復旧してもらった。さすがである。属性データを入れるxmlデータベースのファイルが毀損したらしい。そもそもxmlデータベースなど使うこと自体、オカシイと思っていた。柔軟なデータベース構造を望んでのことと思うが、結局それが裏目に出たのではないか。

 も一つ問題なのが、そのUXの悪化である。たとえば、iTunes Soreとのシームレスな操作が円滑に出来ないどころか、わかりにくく、ついにはトラブルを起こす。最悪だった。

 そうこうするうちにRoonを知った(「Roon 1.2を使い始めた」2016.7.18)。年契約で始めたが、すぐに永年版を買った。そのEXは、このブログでも何度か書いたように、他のものとは雲泥の差がある。クラウドデータベースによるメタデータの補完も、まだ十分とは言えないが、アップルミュージックの比ではない。その編集、組み直しも容易である。なお、Roonにはリッピング機能がいまだにないので、長年に亘ってお世話になっているXLDを使っている。このソフトは素晴らしい。Roonが対応しているTIDALなどのストリーミングは使っていない。IPアドレスを偽ってまでして使いたくないし、ストリーミングの音質の限界が見えるからである。これらを使えば、対象曲数は一挙に数千万になるのだろうけれど。

 さて、アップルミュージック1.1.6のUX。入院してRoonが使えず、やむなく使っているが、ともかく迷宮に彷徨い込んだかのように、欲しい対象情報を見つける手段が実に分かりにくい。

 例を挙げれば切りがない。例えば、左メニュー最初の「いますぐ聴く」。なぜこれらのアルバムが表示されるのか、よく分からない。多分、AIとかであなたの嗜好を推定し、選んだのだ、と言いたいのだろうけれど。私には、「小さな親切、大きなお世話」だ。


 以下のメニューも似たり寄ったりで、ひどい。ライブラリーの「アーティスト」をクリックする。なんとライブラリーに登場する全ての演奏家のリストが延々と単純列挙されるだけ。どうしろというのだろうか。「曲」をクリックするともっと酷い。トラックのリストが全部単純に列挙される。

 いらいらして、検索窓で、たとえばこんなことをすると、


 う〜ん、何でグレン・グールドが一つも出ない?

 ではジャンルで絞ってみよう、と「ジャンル」を呼び出す糸口を探したが、見つからない。たしか以前、何かの弾みで表示されたはず。画面の履歴をみれば見つかるかもと思って探したが、履歴をみる方法も見つからない。「見つける」のページの最後尾に「カテゴリー」と言うのがあった。これだ。しかしこの分類、やたらと細かいものから大まかに過ぎるものまで、ともかく雑多だ。まさに迷路に入り込んだ気分。

 アップルの想定するユーザと私の意図とが多分に食い違っている。

 それに比べればRoon1.8でのブラウジングの快適さは圧倒的だ。不満に思えるところがないわけではないが、気持ちよく画面が反応してくれる。その反応がごく自然に思えるのだ。

 この違いは何に起因するのだろう。

 そもそも私は何をしたくて、何をして欲しいのだろう。

 したいことは、よい音楽に出会い、聴きたいこと、これに尽きる。馴染みの曲を聞き返したいこともあれば、未知の曲に出会いたいときもある。さらには、「ながら」の背景で適当に流したいときもある。フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」が年代でどう変わったかを知りたい、などということももちろんある。要するに、欲求は多様で、しかも曖昧なのだ。

 そこで、(揺れ動く)気持ちのままに自由に楽曲を探索できる方法が重要になる。ネットサーフィンならぬ、いわば「ミュージックサーフィン」だ。1990年代初め、インターネット史上最初にして最大のキラーアプリとしてのWWW(とそれをマルチメディア化したMosaic)の成功は、このネットサーフィンの容易さ、快適さによるところが大きい(「ネットサーフィン」という言葉はWWWが広がる以前からあり、実際、Gopherなどいろいろなソフトがあったが、使い勝手、つまりUXで敵わなかった)。楽曲資源の大海をいかに快適に、思うがままに飛び回れるか、それが今の時代、あらたなオーディオの世界に求められているのではないか。 

 ここで、はたと思いついた。(今の)アップルミュージック1.1.6になくて、(今の)Roon1.8にあるもの、それは至る所に張り巡らされたリンク、そして、提示される関連事項である。

 1945年のエッセー "As You May Think"で Vannever Bush は、人間の思考は連想(association)が瞬時に次々と、web状に連なって進められると考えた。しかしそのような思考を自動的に行う機械を作ることはまず無理であろうとして、そのような過程を補強し強化する機械としてはどんなものが考えられるか、それがMemexである。思考のもととなる知識や情報の集まりを、単なる羅列や索引、分類でなく、情報相互のassociation (関連)を記すことが重要であると指摘した。この構想がDouglas Engerbart, そして Tim Berners-Leeらに受け継がれ、いまやインターネット上の天文学的量の情報を有機的集合体として機能させる原点となった。HTMLタグで最も重要な "a" タグは、associationのことで、hrefで与えるURLはその関連対象の情報の在処である。BushのMemexはマイクロフィルムに記された情報を対象としているが、楽曲ファイルを対象とするシステムで同様の趣旨の機械を作るとすれば、それはまさに"Music Memex"と呼んでいいのではないだろうか。

 アップルミュージックの対象となる楽曲は、iTunes Storeのものを入れて数千万曲、Roonもストリーミングを入れればやはり同様に膨大なものになる。今後さらに増大し続けるだろう。選曲のガイド役としてのMusic Memexの役割は高まる一方だ。なお、iTunes Storeからダウンロードしたファイルは、サブスク期間中だけ聴けるように鍵が掛けられている(ようだ)。購入すれば鍵が外され、Roonでも聴けるようになる。その意味ではiTunes Storeの数千万曲もRoonの対象楽曲となり得る。ビジネスとしては、さすがによく出来ている。

 楽曲を聴く前、丁寧にほこりを払い、中心の穴を傷つけないよう慎重にターンテーブルに載せ、おもむろに針を落とす、という厳かな儀式を執り行った時代から、トレイに載せてボタン一つでスタートさせる、という簡便、安易な取扱いの時代に移ってから早35年。今は、コンピュータとネットの奇跡的な技術革新により、星の数ほどの楽曲ファイルから聞きたい音楽を気の赴くままに聴く、という楽しみが、個別の楽曲をスタートさせる前にある。よきMusic Memexあればこその話である。

 オーディオ、特にハイエンドオーディオは過去数十年、倦むことなく進化を続け、ついに行き着くべき所まで来てしまったかのようだ。あるかないかの音の違いに神経を研ぎ澄ます、という求道的ではあるが息苦しい状況に陥ってしまってはいないか。Music Memexは、その方向とは全く異なる次元で、新しい喜びをオーディオライフにもたらすものになることを期待したい。

コメント

人気の投稿