オーディオの目指すもの

 HiFiと呼ばれるようになって以来,現代オーディオ再生装置のめざすものは,高度忠実性である.何に対して忠実なのか.原音? 原音とはなんだろうか.

再生装置に出来ることは,与えられた音源媒体にある信号(記号)を与えられた環境にある空気の振動に変換することである.この音環境の空気振動がリスナーの聴覚を刺激し,情感を引き起こす.そうしてもたらされた情感こそが再生装置(とその環境)の評価対象であって,それ以外の物理特性その他はすべて参考指標にしか過ぎない.

原音は録音とその情報伝達・分配(パッケージ化,ネット化)の過程を経て,再生装置への入力信号(音源)になるから,演奏による空気振動として作られた原音は,再生システムに届くことはあり得ず,原音忠実再生は不可能であるという以前に意味を持たない.では,もともと電子楽器などで信号として作られた楽曲はどうか.たしかに信号情報としては,現代ディジタル技術ではエラーフリーで再生装置に届く.しかし,音楽として作られたのであれば,クリエータは電子楽器などによってそれを空気振動としてひとまず「演奏」し,作っているはずであるから,この場合もやはり「原音」はその空気振動であろう.

原音の意味をこのような即物的解釈から拡大する必要がある.私はそれを奏者の「意図」であると考える.リスナーが奏者の「意図」を余すところ無く感じ取り,再現できるようにすること,これがオーディオ再生装置の究極の目標ではないだろうか.ちょうど,優れた奏者が楽譜というコードから作曲者の「意図」をくみ取り,それを空気振動として忠実に再現するべく全力を傾注するように.

フルトヴェングラーでベートーベンの第九を聴くとき,おぞましい戦争で露出した人類の暴虐さとそれを乗り越える安寧への希求,これらのフルトベングラーの思いをあたかも自己感情のように共感することができるだろうか.

イーグルスのホテルカリフォルニアを聴くとき,1960年代の若者が訴えた切実な異議申し立てがいつの間にか葬り去られてしまったことへの悲痛なこころの叫びを共感することが出来るだろうか.

調整に調整を重ね,装置と音環境が高みに達したとき,リスナーのミラーニューロンが反応し,あたかも自分が奏者になったかのように感じることがある.奏者の意図,心情がリスナーのなかに再現,再生されるのだ.そういう奇跡的瞬間がたしかに存在し,それとの出会いを追い求める.それがオーディオである.オーディオの業と言うべきか.

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