左右音の差,とくに時間差

ステレオ効果は,つきつめれば,左右スピーカから発する音相互の時間差と強度差によってもたらされる.これらが厳密に制御されてこそ初めて彫りの深い,かつ,無垢で透明な音場が形成される.そのうちのひとつ,アンプ出力の時間差制御の乱れがいかにひどい音響空間,つまり,ひどい音をもたらすか,前稿に述べた作業のなかでつくづく実感した.

この作業中,思わぬ現象を知った.スピーカ背後の左側壁上部にエアコンを設置しているが,そのかけ始めに左側から右側へ温度傾斜ができる.厳密に測定したわけではないが,左と右では体感ではっきり感じ取れる程度の違いはある.すると,たとえばテストCDのClap音が左に若干ずれる.エアコンを止めて数十分後にこの温度傾斜が感じられなくなってから聴くと,ほぼ中央に定位するようになる.

外部雑音があるとステレオ音がそちら側に引きずられて聞こえる傾向がある.拙システムではリスナーの右手キッチンにある冷蔵庫のモーターが回り始めると,やや右側に音像全体がひきずられる.この現象の影響を排除するため,エアコンの動作が安定して騒音がほとんどしなくなってから聴いてみたが,温度傾斜が残っていればやはり左への音像のずれが生じる.どうしてか.

音速は温度に依存する.詳しくはネットの無数の記事を参照していただくこととして,5℃高いとほぼ3m/s早くなる.これは大きな違いだ.拙システムではスピーカからリスナーまで約1.8mだから,単純化して計算すれば,左右スピーカ付近で5℃の温度差があるとして,耳に到達する左右の時間差は約0.5msにもなる.1kHzの音ならば完全に逆相だ.低音でも位相のずれをもたらすから,音像の定位と位置認識に影響を与えるスケールの時間であることは十分考えられる.

音像定位と位置の認識は,じつはこのように両耳に達する時間(と強度)の差で決まるというような単純なものではない.もしそうならば,顔の向きを少し変えるだけでその時間差(と強度差)は大きく変わってしまうが,それでもって音像の位置や定位が大きく変わるなどという経験はだれもしたことがないだろう.

耳に達した音は複雑な形状を持つ耳殻で集音されるが,そこで時間と強度の特性は周波数ごとに複雑に変形するだろうし,なによりも耳と耳の間にある脳の(過去の記憶への照合など)高次情報処理による総合判断を経て,はじめて音像位置同定過程が完了する.また,リスニングルームの温度傾斜は一種の音響レンズを構成するだろうから,スピーカからの音が直線的に耳に達するわけでもない.しかし,温度差が(音響空間のいずれの地点においても)左右音の時間差に影響し,それが総合されてステレオ効果に影響することは,スケールレベルのおおざっぱな目の子計算であるにしても,ほぼ間違いないだろう.

ステレオ装置で左右音の差(時間差と強度差)がないとはどういうことか.モノーラルをシステムの入力としたとき,左右スピーカから出る音出力のタイミングと強度に差がないことである.スピーカを内向きに振った場合には,その向きの交点上で差がないことだ(スピーカ配置で厳密な2等辺三角形の形成が必要なのはこのためだ).この構成により,システムの構成機器がいずれも理想的に左右同一に作られているならば,空間上のいたる地点で,またすべての周波数帯で,正確な左右音の相互干渉波が作られることになる.部屋や家具などの反響は別問題だが,私の経験値では,それらがスピーカから1m以上離れていれば,音響空間に及ぼす影響は急激に小さくなる.

このように考えれば,左右スピーカケーブルが数cm異なるだけでも音が悪くなる,というたぐいの話もあり得ることだろうと思う.また,従来の不可解なくらい微少なスケール,たとえばnsオーダー,でのジッタやクロック論議も,じつは左右音のタイミングのズレとの関連で見直したほうがよいのではないだろうか.

左右音の時間と強度の差はホログラフィックな音響空間の形成を阻害する.人はそれを敏感に検知する.左右音の差を出来るだけ小さくする努力は,良質のステレオ音響空間を構築するための強固な土台作りとして必須であるし,報われるものも大きい.ピュアオーディオの世界でもっと注目してほしい課題だ.


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