再び問うアクセサリのYAGNI

 久しぶりの投稿になった。

 コロナ渦でいろいろ考えさせられた。「科学的」とか「エビデンス」とかを安易に言う人の多いこと。どこかオーディオに似たところがある。人の判断は、結局は理性による論理よりも、底に潜む情動に大きく作用されるようだ。オーディオは、「不要不急」でただの感覚の趣味(せめて不用の用として欲しい)だから、科学的理屈は多少いい加減でも、楽しめればいいだけの話しだが、しかし、社会に多大のダメージを与えかねない疫病の話しはそうはいかない。ワクチン、治療薬の可能性、PCR検査の精度、マスクの有効性、感染病理学モデルなどなど、不可解で怪しげな議論が多く、「科学的」と言われるにふさわしい論理とエビデンスがあるかどうか、極めて怪しげだ。まして、テレビキャスターやコメンテータの正義漢ぶった荒っぽい議論は、一部の怪しげなオーディオ評論家によく似ている。そういう私自身、このブログではさんざんいい加減なことを書いてきた、と反省している。むしろそのいい加減さの自由を楽しんできたのかも知れない。

 今日取り上げたいのはオーディオアクセサリの効果である。これまでいくつかのアクセサリについて、宣伝するつもりは全くないが、効き目の素晴らしさを時にはほとんど手放しで褒めてきた。一方で、いっときはそう思ったアクセサリをしばらく使用した後で、それを取り外したら却って音がすっきりしてよくなった、という経験も書いてきた。恥をさらすようだが、今回はその新しい例である。

 ものは iFi AC iPurifier。電源にまといつくノイズを取り払う、というものである(「どこまでも無垢な音を求めて...CAD GC1,   iPurifier, そしてMQA」。ちょっとした苦労をした上で取り付け、効果が認められる、とその時は心底そう思ったし、そう思い続けてきた。しかし、数日前から、なんとなく音がよどむ感じが気になりだした。音響空間を水槽にたとえると、音(魚たち)の群れが込んできて複雑になると、なにか淀み濁るのだ。うっすらながらも。似非科学的論法かも知れないが、逆相を与えてノイズをキャンセルする手法は、危険な綱渡りのようなもので、時間のズレがわずかでもあれば却って不自然なノイズを作り出すから、経年劣化か何かしらの理由ででそれが起きたのかも知れない。実は最近、Apple AirPods Proのノイズキャンセラ−で似た経験をした。この話しは別途述べてみたい。

 気になり出すととまらない。Kiri Te Kanawaの"Come to the Fair"や、特に一連のEnyaなどは、以前はもっとずっと澄んでいたはずなのに、などと考え出す。いろいろ試し聴きする。ついに思い切って、AC iPurifierを二つとも外してみる。さて、、、すっきりした、と思う。少なくとも悪化したようには思えない。こういうときは、まさに Less is More 、そしてYAGNI(You ain't gonna need it! 余計なことはするな)である。

 

 以降、数日に亘ってこの状態で聞き続けている。よくなった、と思う。音の信号経路から外れたところにあるものでも、余計なものはない方がいいという、昔から分かっていたことを改めて一つ確認した。恥ずべきことかも知れないが、あえて書き残したい。

 それにしても、Devialet Expert 1000 Proの良さ。一音一音に漲るエネルギーが実音の持つ無垢な生命力、躍動感を見事に出してくれる。アクセサリは決してそれを汚してはならない。

コメント

人気の投稿