音源に秘められた尽きぬ美

想定外の事象と同様,不可解な出来事も案外起こるものだ.わがシステム Mm をすこしでも進化させようとして,実に不可解な現象に出会った.

D-Premier Air Dual Monoのアンプ2台を重ね置きして使っていた.しかし,どうもこれが気になる.昔からオーディオ機器の重ね置きは禁じ手だ.電磁場,固体振動,発熱など,悪い相互干渉を引き起こすからだ.そこで,2台を併置するべく,上のマスターアンプを離してみた.すると,なんとスレーブ側のアンプに信号が行かず,そこから音が出ない.元に戻してスレーブアンプの上に重ねると復旧する.販売店や代理店に相談すると,両者をつなぐディジタルケーブル(Jorma Digital)のコネクタの接触に問題があるのではないか,という.そこで,マスターをできるだけ静かにわずか持ち上げて,その4脚の下に紙一枚を置くだけで,やはり駄目だ.脚が実はシャーシに導通して両者のアースを共通にするためにディジタルケーブルが機能するのではないか,と我ながら珍妙な仮説をたてたが,そんなはずはない,といわれればそれまでだ.

親切にも代理店が代わりのディジタルケーブルを貸してくれた.それで試すと,なんと,アンプ2台を離しても何の問題も生じない.

ハードウェア技術者ならばすぐに原因を考えつくのかもしれないが,私にはそういう素養が全くなく,ただただ,不可思議としか言いようがない.しかし,ケーブルを変えれば機能することがわかったので,現在は下の写真のように,アンプを併置している.ディジタルケーブルはGoldmund製.


置き方を変えるついでに,less is more のモットーに基づいて電源ケーブル周りの余計なものを取り外した.現在は,左アンプは左壁の,右アンプは右壁のアウトレットにケーブルをつなげている.Transparent Power Isolater MM2とそれに繋げるケーブルを取っ払ってしまったのだ.また,Λ3.5,も外した.これによって音が素直になった.以前は音の深みを増したような気がしていたが,気になりだすと妙なもので,音の足取りが重く感じられ,だんだん嫌みになってきていた.すっかり簡素化したこの状態でしばらく聞き続けてみようと考えている.

いわゆるアクセサリーはできるだけ使わないに限る.一聴したとき,音の変化を知ってうれしくなることがあるが,その変化はまぎれもなくオリジナルなものを変形させているのだから,その意味で情報の一種の劣化作用を起こしている.低音を引き出すとか,高音の切れをよくするとか,いずれもオリジナルの欠点を補っているようでいて,実は本質的にはなんら問題を解決している訳ではなく,下手な化粧のように,付加することで,単に欠陥を覆い,ごまかしているにすぎない.取り払ってみるとそのことがよくわかる.

とはいえ,上の写真で見るように,アンプラックやケーブルスタビライザなど,一見余分なアクセサリをまだ使っている.これらは外してみるとあきらかに音を濁す.マイクロフォニックな固体振動を遮るために必要なのだ.

システムはモジュール(部分システム)から構成される.よいシステムはできるだけ少ないモジュールで構成し,モジュール同士の相互干渉が起きないようにそれぞれをアイソレートすることが大事だ.Mm は徹底的にそのことを追求している.しかし,それでも変な迷いがしばしば紛れ込んで,結果的に悪影響を及ぼすアクセサリーを入れてしまうことがある.

アンプの併置と簡素化をする前に,カール・ベーム指揮ウィーンフィルのモーツアルト/レクイエムをハイレゾ音源(e-onkyoで購入)で聞いた.すると,バイオリンの極めて高い音が鋭く歪みっぽく聞こえ,いたたまれない.CD版ではそんな感じはかけらもない.なんてひどいハイレゾ音源を売っているのか,と腹立たしくなった.しかし,上述のようにシステムを簡素化し,アンプを併置した現在のシステムで聞くと,このハイレゾ版がとても美しい.あの不快感など全くなく,バイオリンの高音はピンと張った絹糸のように滑らかだ.これを聞いてCD版を聞くと,どこか鈍重で冴えなく聞こえてしまう.

マスターとスレーブを結ぶディジタルケーブルがやはり問題だったのだろうか.そこで生じるわずかな時間的揺れが左右の音の位相差を歪ませるのだろうか.確かにハイレゾほどジッタが問題となるはずだ.

今日は,ベームのモーツァルト/レクイエムを繰り返し聞いているが,その音場空間の深く,清く,美しいこと.演奏はもちろんだが,半世紀前の録音の良さも驚きだ.オーディオ再生技術を磨けば磨くほど,今なお秘められた美をより多くとり出すことができるのだ.

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