3次元音響空間を愛でる

発音体が二個のスピーカだけのステレオ環境で,ひとはどうして3次元音響空間を感知するのだろうか.ハイレゾ音源を手にした今,あらためてそのことを考えてみた.

どんなステレオ音源でもそこから3次元音響空間が得られるわけではない.ハイレゾ音源といえども同様で,たとえば最近聴いた Paul McCartneyのBand on the Run/High-Res Digital にはがっかりさせられた.音が単純に左右に広がるだけで,とくに興ざめなのは,片方のスピーカだけが出すような音がある.1960年頃のLPにはよくあったステレオ効果を幼稚に誇示するだけのような録音である.名画の印刷絵はがきのようにまるで生気がない.

こんなひどい例はいまどき珍しいが,LP, CD, ハイレゾを問わず,熟達した録音技術者による録音があってはじめてリアルな3次元音響空間の構築が可能となる.XLOテストレコードのJohnson教授のトラックでは,マルチマイク録音によるひどいケースが紹介されているが,マイクセッティングだけでなく,制作過程での位相や周波数特性などの調整によっても結果が大きく変わるのだろう.

しかし,たとえどんな録音制作過程が取られようが,ステレオのリスニングルームでは(周囲の反響などは無視するとして)発音体はスピーカ二つだけである.その二つから発射される音波の相互干渉により音響空間が作られる.ということは物理的に見ればその空間は左右の1次元情報しか持たないはずである.それがなぜ縦横奥行きを持つ3次元に聞こえるのか.音(空気の疎密振動)の左右一次元情報に加え,その時間的変化を手がかりとして,ひとは頭の中で3次元空間を再構築するのだとしか考えようがない.

ステレオ空間で簡単な実験をしてみる.まず,上下の縦位置について.周波数で見ると,一般に高音は上に,低音は下に聞こえる.次に,上を見て聞けば音は上から聞こえるし,下を向けば下から聞こえる.顔を向ければもちろんのこと,目だけ,あるいは気持ちだけでも向けた方向から音が聞こえる.まるで現象論でいう志向性(ノエシス)を明証するかのようだ.しかし,左右の横位置については,左を向いても右を向いても中央から聞こえる音の位置はそう大きくは変わらない.アンプの出力をモノ設定にし,中央で正面を向いて聴くと当然,音像は中央に定位するが,片側に偏って立ち,正面を向いて聴くと,確かに向いた方向に音像が位置するものの,その音は痩せ中央で聴くときの豊かさはない.このように,左右横方向の位置については,もともと物理的音響空間が持っているその情報をしっかり認識するようだ.奥行き方向の感覚については,XLOのJohnson教授のトラックによると,録音された残響音が影響することを指摘しているが,それだけではないだろう.

発音体が3次元全体に分布している実環境での位置同定には,既述したように,位相の変化パターンやフォルマントの変化パターンなどが手がかり情報とされるようだ.これらはステレオ音響空間での認識においても同様に働くはずだ.

さらに,黒田節を黒田節と認識するような,音楽自体を総合的に高水準で認識するパターン情報処理機能がはたらく.こうして,全体として3次元音響空間が頭の中で形成される.ひとが認識する音とは,入力された物理的音波を手がかりにして,過去の経験や知識をフルに活用する想像と創造のたまものである.音を聴くのは耳ではなく耳と耳の間である,とはこのことだろう(むしろ体全体で聴く,というべきか).ただし,入力となる物理的音響空間が精確に作られてはじめてそれが可能となる.というか,想像と創造による認識をしやすくする.ピュアオーディオを求めるわれわれはその入り口となる音響空間をどこまで精密に作り出せるか,それを追求する.しかし,音響の造形能力に長けた人は,たとえ貧弱な音響空間が与えられても,それをたねに頭の中で音楽の美を再創造することが出来る.聴覚に秀でているはずの多くの音楽家がオーディオ装置にそれほどこだわらないのは,多分そういうことなのだろう.

明確でソリッドな音響空間が形成されたリスニングルームでは,ひとはそれを自由に愛でることが出来る.従来のオーディオ観では,リスナーといえば,座る位置が定まり,頭さえ動かさず,両耳に入る音に神経を集中し,低音がどうの,ひずみがどうの,とあれこれあげつらうものとされる.まるで音の測定ロボットだ.なまの演奏会場では,ほかの聴衆や演奏者に気兼ねして,じっと静かに聴かざるを得ないが,オーディオは本来,音量さえ自由に制御できるのだから,聴く位置も姿勢も自由でいいはずだ.それによってオーディオの楽しみが倍加するとまでは言わないが,そうとう広がることは確かだ.

気のおけない友人達と一緒においしいワインとチーズを囲み,リアルな美音に耳を傾ける.どの曲をどの演奏家でどのように演奏させるか,また,それをどのように聴くか,思いのままである.かつての王侯貴族でさえ手にしえなかった贅沢だ.こういう音空間の愛でかたはしかし,ピュアオーディオからみると邪道ですかね.

コメント

人気の投稿