透明度、解像度、そして弾力度 ~~ オーディオシステムの評価基軸として


 「生成する世界は『論理をしのぐ』ものであり、だからこそ論理的に断定するより先に、絡み合った現象の狭間でまずは真摯に問いかけること、そしてひたすらそれらに耳を澄ますことが必要だ。」(*脚注↓)

 

 オーディオの音を評価し形容する表現には様々ある。抜けがよい、広がりがある、躍動感がすごい、など。私もこのブログで、思いつくままに感じたことを述べてきた。最近、あるきっかけから、これまで培った感覚評価を体系的に考え直してみたくなった。後に詳述するが、標題の三軸からなる。

 そのきっかけは、LANケーブルで音が変わるか、という問いである。ディジタル情報の伝達を行うのだから、変わるわけがない、と考えるのが自然である。もしそれが変わるようなら、至る所で情報が変わってしまい、ディジタル文明そのものが成り立たないではないか。しかし、オーディオ(という趣味)の面白さは、試してみないと分からないという、アナログ的な「訳の分からなさ」にあり、ディジタル的理屈はしばしば裏切られる。

 以前、Devialetアンプを使用する我がシステム μJPS で、USBケーブルによる音の善し悪しを試したことがあり、わずかながらも確かに違いが感じられた。しかし、USBより総体的にEthernet接続のほうがよいことが分かった。詳しいことは忘れたが、USBは、方式自体がEthernetより不利なようだ。以来、MacBookとDevialet Expert 1000 Proの間は、次の構成のEthernet接続を主としてきた。接続プロトコルはRAATを使用。

 MacBook Air 2020 
→ バッファロー LANケーブル DELA  C1AE 2m      (1)
→ マンション壁内既設のLAN
→ ACOUSTIC REVIVE LANアイソレーター RLI1GB-TRIPLE-C
→ バッファロー LANケーブル DELA  C1AE 2m      (2)
→ ACOUSTIC REVIVE LANアイソレーター RLI1GB-TRIPLE-C 
→ Devialet Expert 1000 Pro

 この構成から、まずはバッファローのLANケーブル(1)を、新たに購入したCAT8のエレコム LANケーブル LD-OCTT/BM20 2m に換えてみた。

 その違いにいきなり驚かされた。変わること、ましてや良くなることなど、ほとんど予期していなかったからである。では、なぜこんな作業を敢えてしてみたのか、ステレオサウンド誌の最新号(2021年秋号)の記事に触発された。CAT6とCAT7のLANケーブルの比較試聴で、音が違い、良くなる、とある。ただし、CAT7とCAT8には差は感じられないとも。バッファローDELAはCAT7だが、それでも、敢えて換えるとどうなるか、まずあり得ないだろうけれど、ひょっとして、と好奇心が湧いた。

 このLANケーブル(1)の変更で十分満足したが、やはり勢いで(2)のケーブルもエレコムに変更した。すでに十分良くなっていたので、ほとんど差は感じられなかったが、悪くはならない。この状態で聴くことにした。

 ここで、私が感じたその変化を、新しく提案したい主観的評価基準軸を使って、述べてみたい。

 (I)透明度 Transparency: 底なしの深淵を背景に、雑音、歪みなど、アーキファクト(作り物)を一切感じさせない無垢の音色を最上とする。その度合いは、メロディーにもっとも顕著に現れる。エレコムLANケーブルへの変更で、これまで幽かではあるが感じられた背景のもやつきがきれいに拭われたように感じられた。+2 上昇。また、下図ソフト Holly Coleの"I can see clearly now"の絶唱で、ともすると喉が締め付けられるような軋みが出ることがあるが、その詰まり感は消え、自由奔放に、透明空間に美声が広がる。



 (II)解像度 Resolution:ハイレゾでいうビットレートのことではなく、ステレオ効果が現前させる音響空間での空間的、時間的な解像度を言う。音場の緻密さ、音色の鮮やかさなど、空間と時間の彫琢の鋭さを計る。その度合いがもっとも明瞭に示されるのが、ハーモニーである。例えば、下図ハイレゾ音源での交響曲の合奏で、空間的にも時間的にも混濁することなく、どれほど十分に豊潤にして鮮やかに描かれるか、それが問われる。エレコムで +1 上昇。



 (III)弾力度 Elasticity: 音の弾み、力動感の度合いを表す。音信号は電圧で与えられるが、その電圧変化に瞬時の電流補給が伴わなければ、エネルギーが与えられず、実在感が出ない。音の立ち上がりに撓めのある瞬発力を与え、逆に、消えゆくエコーにしなやかさを与えるが、そのどちらも単純な立ち上がりや立ち下がりではなく、弾性があってこそ生命力が生じる。その度合いがもっとも顕著に現れるのがリズムである。下図ソフト Angela Hewitt 演奏のバッハは、ダンス曲のようによく弾み、躍動するが、その弾力感がどれほど深く表現されるかが問われる。エレコムで +1 上昇と感じた。



 先に参照したステレオサウンド誌にはなんと、大昔の小林秀雄と五味康祐の対談が復刻され掲載されている。そこで、小林秀雄は、音でなく音楽を聴くべきだ、という趣旨の話をしている。当然の指摘だか、この評価法は、素朴ながらもその志向に少し近づけたのかも知れない。

 私の長いオーディオ遍歴を振り返ってみると、まず (I) の透明感を強く意識した初期段階から、(II) の解像度、特に空間感に驚き、楽しんだ時期、そして、(III) の躍動感を強く意識し出した比較的最近の経験がある。もっとも、主要な着眼点が移行してきた、ということであり、いずれの時期でも多かれ少なかれ3種ともに意識はしてきた、オーディオ技術の革新にも関係していると思う

 微妙とはいえ、なぜ音が変わるのか。正常に機能するLANケーブルならば、ディジタル情報自体は変わりようがない。コード化された情報は、エラーが生じても必ず修正される(か破綻する)ため、機能する限り情報としては完璧に同一である。また、タイミングの揺れは、たとえ生じても随所に設けられたバッファできれいに整頓される(か間に合わなければ破綻する)。音に影響するものがあるとすれば、LANケーブルが発生するなんらかのアナログ的ノイズが、システムの他のアナログ部分に影響することである。上で参照したステレオサウンドの記事では、CAT6とCAT7以降との違いにシールドのありなしが指摘されている。確かにパルス列の発する超高周波によるEMIによるアナログ部への影響があるかも知れない。しかし、今回は、CAT7のバッファローのとくにオーディオ用と銘打つ高価なものであり、CAT8ながら安価なエレコムのケーブルのシールドがそれにずっと勝るとは考えにくい。しかも(1)の部位はアンプやスピーカなどシステムのアナログ部分とは部屋の反対側になるので、8mも離れていて、EMIが及ぼすはずもない。

 他に原因として考えられるのは、コネクタ(RJ-45)である。以前からずっと気になっていたが、このコネクタの形状規格の許容精度がゆるいのか、ケーブルの種類によって差し込みがきつかったり緩かったりする。これほどの高速周波数でこれほど精度が緩いにも拘わらず、正常に機能するのは、昔のコンピュータを知っている人間にとっては大変な驚きである。ここでの接触が悪ければ反射などのノイズは相当あるはずである。それをカバーするのが符号化の仕組み、たとえばエラーが出れば再送を繰り返すなど、で、ということは、伝送遅れが生じたり、あるいは両端の機器での計算負荷が増加することを意味する。ケーブル(1)ならばMacBook、ケーブル(2)ならばDevialetアンプでの計算負荷である。計算負荷の増加はなんらかのアナログ的影響をシステムに与える。これが音質に関係するのではないか。今のところ、他の理由は思いつかない。

 とはいうものの、他にとんでもない現象もあり得る。私はいまこのブログを、アンプから5m離れたMacBook Air 2019で書いていて、別のさらに3m離れたMacBook Air 2020のRoon Core から流れるピアノ曲を聴いているが、なんと、タイピングに合わせてスピーカから、ザッザというような雑音が出た!。ディジタル的破綻が生じたのである。バッファ溢れか不足による音飛びだろうか。どちらのMacBook Airも電源はバッテリ駆動状態だし、とくにAir 2019は、有線経路ではオーディオシステムから完全に独立分離している。一体どの経路で影響が及んでいるのだろうか。ここで、実はWiFiを共用していることに気がついた。Air 2019上のRoon のControlを機能させるためだが、演奏中は止めているからその影響はないはず。しかしAir 2019上の今書き込み中のこのブログがWiFiを使っていて、それが何らかの形で、Air 2020の動作に影響したかも知れない。RoonはControlがCoreと別の機械におかれているとき、同じWiFiを共用していなくても機能するので、完全に分離するにはどちらかのWiFi使用を止める必要がある。以降、演奏中はRoon Control を止めるだけでなく、WiFiも断つことにした。そこまでしなくても、WiFIを別なものに換えるだけで、透明度が上がることに気がついた。共用すると音がわずかながら滲むのだ。
そんなわずかな相互作用が、明瞭に目に見える、もとへ、耳に聞こえる形で、生じるとは。やはりオーディオはデリカシーに満ちている。なお、DevialetアンプのWiFiは、いろいろな曲折を経たあげく、大分以前から断っている。Devialetは、そもそも有線接続によるノイズの流入を完全に防ぐために、ワイヤレスで接続できることをセールスポイントの一つにしていたが、いまやWiFIは推奨していない。現実に試して見ることなく、論理ありきのもたらした具体的失敗例である。

 計算負荷の音質への影響がディジタルオーディオで考慮すべき要因のひとつであることは確かだ。極端な場合、ディジタル的破局に現れるが、そこまでいかなくても音の透明度を下げ、弾力度や解像度に微妙に影響することを認めざるを得ない。

 この問題に関連して、Roonの使用するRAATと、より広く使われるUPnPの比較がある。UPnPプロトコルは、受信側の機器がミュージックデータのフォーマットに基づきデータのレンダリングをする必要がある。それに対し、RAATは発信側のパソコンなどに置かれるRoonコアでこのレンダリング作業を済ましたものを送り出すので、(Roon Readyの)受信側機器ではその分計算負荷が少なくて済む。Devialetアンプは、UPnP対応でもあるので、その方式も使えるが、この観点で比較すれば当然RAATを使う方がよい。

 Macの再生アプリとしてAudirvanaが名高く、私もRoonの出現以前はこれを使っていた。AudirvanaはLANでの接続にDLNA体系、つまり、受信側にUPnPを想定していて、この点でRoon使用より音質面で不利であると考える。しかし、それ以前に問題があり、最新版のAudirvana Studioでさえ、コントロール部の使い勝手と機能(いわゆるUX)がRoon 1.8より圧倒的に劣る。Audirvana、頑張って欲しい。両者がしのぎを削れば、音質、UXともによりよいものに進化するだろう。それにしても、アップルミュージックはひどい。にも拘わらず、Macでディスクをリッピングするべく読み込むと、このソフトが自動的に立ち上がってしまう。ジョブズーイズム行きすぎの弊害例で、修正して欲しい。

 (*脚注)朝日新聞朝刊「折々のことば」に載せられたウィリアム・ジェームズの言葉。原著と思われる "A Pluralistic Universe & Memories and Studies"のKindle版を見たところ、ここで引用した文にそのまま対応する英文は見つからなかった。William Jamesが言いたかったこととして、鷲田清一氏が書き下ろした文かもしれない。引用もとの訳書「多元的世界」は見ていないので、そのなかにこの文がそのままあるのかどうかは確認していない。

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