音を観る

 美術の鑑賞に聴覚を使わないように,オーディオは視覚を使わない.人間にもともと備わる機能の一部を使うことなく,限定された感覚に集中する.すると,優れた絵画に音のリズムやハーモニーが感じられるように,優れた音源とステレオ装置が刻み出すサウンドステージとして虚空に映像を見ることができる.制約された情報から呼び覚まされた想像世界に悦びを見出す.

 なぜ,こんなことに改めて気がついたかといえば,友人が音楽演奏の最近のビデオソフトを勧めてくれたことから始まる.勧められたブルーレイを見ると,確かに画質は以前のDVDなどに比べ非常にいい.AVでは意識はほとんど視覚に向くから,音質はあまり気にならないが,結構いい音がする.だが,いたずらに画質が良いだけに,演奏者の表情や顔が気になってしまい,それがどうも気に入らない.カメラワークもおざなりで興を削ぐ.音のみから自分で想像し,空想する歌手や演奏者の方がずっといいのだ.目にする映像がかえって音の世界を損なってしまう.

 さらに悪いことに,コピー防止策のためか,AVディスクはファイル化ができないし,ダウンロード販売のサイトもないようだ.私のように,機械的回転機構をノイズ発生源として嫌い,再生システムからあらゆるディスクプレーヤを完全に排除しているものにとって,これは救い難い問題だ.YouTubeなどのストリーミング配信は,だいぶ良くなっているとはいえ,所詮は圧縮されたデータで,質は期待できない.

 モニターディスプレーの問題もある.液晶にしろ有機ELにしろ,大型ディスプレーをスピーカの背後に設置すれば,そのつるつるの硬い表面の反射音が良いわけがない.音にテカリがつくのだ.モニターを避けて代わりにプロジェクタを使えば,ファンの騒音が気になる.

 あれやこれやで今回もAVへの取り組みはやめた.やはり視覚を封印して音を「観る」.これがピュアオーディオの本道であろう.実際,虚の空間に音が舞い,目眩く姿を「観る」ことができ,豊かな想像世界に遊ぶ悦びがある.Norah Jonesのハイレゾ版を聴けば,その吐息まで感じられる.Karl Richterのマタイを聴けば,ミュンヘン市民のキリストを悼む痛切な熱気と表情が見える.

 VR(virtual reality)技術は豊富な感覚情報を与えて人の五感を欺くことに腐心するが,オーディオは,逆に視覚情報を欠落させている.必要最小限のみ提示する能の世界に通じる.情報を削ることによってかえって強いリアリティ感覚を呼び覚ます.これぞ真のVRというベきか.

 Serafino導入後,拙システム μJPS にいくつか手入れを行なった.
  •  USBケーブルをSUPRA USB2.0(2m)からAIM SHIELDIO UA3 R010(1m)に変えた.SUPRAが気に入らなかったわけではないが,ネットなどでの評判の良さにそそのかされた.これは当たった.Verdi: RequiemのDies Irae のような大音響で複雑きわなりない曲でさえ,空間分解能が破綻することなく聴くことができる.なぜ効果があるのか,よくわからないが,やはりUSBの電源線と信号線の絡みの問題かもしれない.なお電源線と信号線の分離については,だいぶ前にAurorasound Bus-Power PROを購入していて,それを思い出してテストして見たが,明らかに音を劣化させた.付帯音がまとわりつき,ささくれ出す.使用する電源アダプタが電源回路を汚すのであろう.単にUSBの電源線と信号線を分離すれば良い,という話ではない.
  • 機器の下に置く振動インシュレータを試聴した.この数万円のインシュレータは電磁波と機械振動を遮断する効果があるという.しかし,様々なソースで試したが,私の耳ではその効果を聞き取ることはできなかった.そこでふと思い出したのが,ダイソーで売っている衝撃吸収パッドである.だいぶ以前にスピーカの下に敷いたりして試したことがあるが,気のせい程度の効果があったような記憶がある.今回,MacBook Proの下およびその下のEMGボードの下と,左右両Devialetアンプを載せたアンプラックの脚下に置いたところ,予期した以上に効果があった.Isabelle FaustのBach: Sonatas and Partitas をまず聞いたが,不自然ではない艶を感じた.様々なソフトで試したところ,音場の見通しが明晰になり,だからといって音がきつくなるわけではなく,むしろ和らぐ.スピーカから床経由で届く機械的微振動を遮断する効果があるのだろうか.いずれにせよ,費用効果比抜群である.
  •  Robert Harleyの"The Complete Guide to High End Audio"第5販(Kindle版) を購入した.第4版まで読んでいたが,第5版もやはり気になって読み直した.大きく変更されたところは見受けられなかったが,読み直して見て,基本的に正しくオーソドックスな考えに満ちている,と改めて感心した.スピーカ配置の議論についても同感だ.拙システムの配置は試行錯誤の繰り返しで今の状態になっているが,気がつけば本書に書かれていることと酷似している.また,デイスクプレーヤとミュージックサーバを比較して,次のように述べている.File audiophileを自認する私としては,まさに我が意を得たり(同書 p210より).
       Ive compared the sound of state-of-the-art CD transports to music servers playing the same music through the same digital-to-analog converter and digital cable. I ripped the CD to the server, put the CD in the transport, then compared them by playing both and switching between them. The sound from the server was smoother in the treble, with a more delicate rendering of treble detail. The soundstages of music sourced from the server were also improved— more spacious, greater image focus, increased.
  • XLDアプリケーションのリッピングを試して見た.今のライブラリにあるCDからのミュージックファイルは全てiTunesでのリッピングによるAIFFだが,上記のHarleyの本でリッピングソフトについての記述があり,以前使ったことのあるXLDを思い出した.iTunesよりも丁寧な読み取りで時間がかかる.結果を聴き比べて見たが,違いはわからない.そこで,Xcodeにビットワイズでのファイル比較をするアプリケーションがあるのを知り,それを使ってみたところ,当然といえば当然だが.いずれも全く同一だった.リッピングソフトで音が変わるとか,ディスクドライバで音が変わるなどということは,論理的(原情報が情報として完全同一),物理的(再生時の使用機器が同一)にみて全くありえないのだ.
  • e-OnkyoなどからダウンロードしたハイレゾファイルのいくつかがFLACだったので,XLDでAIFFに変換して比較試聴してみた.FLACは再生時にリアルタイムで復元処理をするため,CPUに余分の負担がかかり再生音を劣化させる,という懸念がある.しかし,何度か試聴を繰り返したが,正直なところ,差はわからなかった.アクティビティモニタでみてもCPUの使用量に違いは見られない.たとえあるにしても現在の高速CPUにとってはたいした差とならないのだろう.しかし,まだストレージに余裕があるので,精神衛生上からファイルはやはり完全復元型で持ちたい.

コメント

人気の投稿