Sonus Faber Amati Tradition 試聴記

 すっかりご無沙汰してしまった.書きたいことがあまりなかったからだ.しかし,先日,例の,神田明神下DA7F店で,Sonus Faber Amati Tradition を試聴する機会があり,その迫力に魅了され,ふたたびオーディオすることの喜びが蘇ってきた.

 この店を訪れたのは何年ぶりだろうか.大震災の翌日,たまたま関西からの帰路にあり,交通機関の運行再開を待つため寄ってみたのが最後だったが,当然閉店していた.今回訪れると,店内の試聴室は大分変わっていて,まるで中東のドバイのように,そびえ立つ巨大な(そして超高価な)スピーカが林立している.そこに混じってひっそりとAmati Tradition があった.

 Sonus Faberのスピーカは,昔からその洗練されたデザインと弦の音の良さは知っていた.しかし,音の実在感に物足りなさを感じ,ずっと関心を持ちながらも見送っていた.今回は,K店長のメルマガで高く評価され,価格も我が視界内に入ることから,改めてその見た目の良さと,ひょっとすると拙システムの水準を超えるなにかがあるかも知れない,と考え,試聴の機会をお願いした.

 オーディオの技術はすでに行き着くところまでいってしまっているため,もはやこれ以上の進歩はあり得ないのではないか.そう思えることがあるのは私だけではないだろう.私の個人的なスピーカ遍歴からこれまでのオーディオ技術の発展段階を見直して見た.

1.Goodmans Axiom 301 (1969 ~ ) 歪み,雑音が少なく大音量.それだけで感激できた.
2.DIATONE DS-10000 Klavier (1985 - )歪みと雑音が極小化された純度の高い音
3.B&W SS 25 (1995 - )現実音の持つ厚み,深みと力強さを感じさせる実在感のある音
4.KISO ACOUSTIC HB-1 (2010 - )精緻な3次元音響空間を現出する音.

 この「発展段階」の認識はいうまでもなく私的な経験であって,また,私的な嗜好も反映している.第4段階の3次元音響空間(サウンドステージ)の現出は,昔から知るひとは知っていたし(たとえば五味康祐),また,私には耐えがたいホーンスピーカの歪みの大きい音を好む人も少なくない.アナログ派やビンテージものを好む人たちは,昔のほうがずっと良かったと思うに違いなく,そうであれば,この「進化過程」はむしろ「退化過程」であろう.人それぞれでちろん良いのだが,私は段階的進化をを感じ,追求し,自分のシステムで実現することにオーディオの,極端に言えば最高の喜びを感じてきた.では,次の進化はあるのだろうか.あるとすればどういうものだろうか.

 恩田陸著「蜜蜂と遠雷」に風間塵という天才少年が登場する.全くの自然児で,通常の音楽教育を受けず,にも関わらず,異常に優れた聴感と奔放な技術の持ち主で,ピアノコンクールを勝ち進む.唯一の師と約束した彼の目標は「閉じ込められた音楽をもと居た場所に戻そう」ということ.確かにいまの演奏家はどんな難曲も全くミスなく,情感豊かに完璧に弾きこなす.しかし,どこか枠に囲われていて,息の詰まるところがある.風間少年に言わせれば,音楽はもともと世界に満ちているのに,それを演奏という格式で閉じ込めている.音楽をもとの世界に戻し,自由にさせてあげるような演奏は出来ないものだろうか.これが少年の願いであり目標だという.

 オーディオと音楽演奏とはもとより次元が異なるが,オーディオにも同じことがいえるかも知れない.たしかに上記の第4段階で,3次元音響空間の精緻な創出まで出来るようになったが,いまの拙システムではどこか閉じられていて,外に広がる伸びやかさに欠ける.かごの中の鳥のように窮屈なのだ.そのためか,長時間聴いていると,どんなに好きな曲であっても,なんともいえぬ疲労感が蓄積する.風間少年の言葉で,我がシステムに日頃抱いていた不満のもとをすばり指摘されたような気がした.

 さて,Amati Traditionの試聴である.我がシステムとの比較をするのが狙いだから,構成機器の違いを出来るだけ少なくするため,そして日頃聞き慣れた曲を聴きたいため,所有する全てのミュージックファイル(合計約 1 TB)をSSDに納めた私用のMacBook Proを持ち込み,それを店内のDACにUSB接続して聴かせて頂くことにした.選曲がすばやく出来るように,聴きたい曲にはRoonでタグ付けをしておいた.同行した友人はCDとSACDを数枚持参したので,こちらも聴かせて頂いた.こうして図らずも,パソコンのファイル再生と通常のプレーヤ再生との比較も行えることになった.

 結果は,どんなジャンルの曲にせよ,Amati システムの魅力に圧倒された.現出された3次元音響空間は明晰かつ豊潤そのもの.ノイズフロアは全く感じさせないので,どこまでも澄み切った空間を.音が舞い,たなびき,咆哮する.とくに驚かされたのは,店長お薦めの曲 "Uncompressed World Vol.1" の "Two trees".音が囲みの外に飛び出し,自由な自然の世界に解き放された.現有の拙システムを明らかに超えるオーディオの次世代の姿を見て,そう,聴くだけでなく,見てしまったのだ.

 さあ,どうしよう.私のスピーカ遍歴では,変えるたびに値札の数字は大きくなったけれど,ものとしては軽く小さくなっている.音源が小さい方が音響空間構築の精度が高くなると考えたからである.当然低音の豊かさは犠牲になる.しかしそれを上回る音響空間感覚の喜びがあった.一方で,本格的なウーファを備えたスピーカを使って見たいという欲は消えなかった.しかし,このAmatiの音を聴いたらもうだめである.といって重いスピーカは配置の調整のことなどを考えるとやはり心配だ.それに,自分の部屋に置くことを想像するとやはりちょっと大きすぎて,見た目の圧迫感が気になる.いずれにせよ,システムを構成する機器や部屋の音響特性の違いもあるから,HB-1をAmatiに変えても我がシステムがDA7Fのこのシステムに届くことが出来るかどうか.しかし,「自然に戻る解放感」を,こうして実感してしまった以上,どこまでその革新に迫ることが出来るのか,挑戦したい誘惑は抑えがたい.

 結局,財布の都合もあり,ひとまわり小型の Serafino を購入することにした.店長のメルマガでの評価によれば,Serafino は100%のスピーカ,それに対しAmatiは150%だそうだが,100%で我慢することにしよう.

 納品は一ヶ月のちになるという.それまで,長年親しんできた小さなHB-1をじっくり味わいなおし,感謝を込めて,その音を脳裏に刻み込んでおきたいとおもう.
 

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